中モズローンテニスクラブの概要

中モズローンテニスクラブ概要について
中モズローンテニスクラブの歴史
昭和10年の中百舌鳥の時代

昭和10年南海電鉄開業50周年記念事業の一つとして、堺市中百舌鳥町に総合運動場を建設することが企画されました。>全文を読む

昭和45年の芦ヶ池テニスコートの時代

昭和45年ごろ、南海電鉄が中モズにあったテニスコートや、隣接していたゴルフ練習場等を住宅公団に売却することが決まり、中モズローンテニスクラブは存続の危機に立たされました。>全文を読む

昭和56年の宮山台テニスコートの時代

《宮山台テニスコート建設まで》 当時の河本会長、貴志理事長の元で緊急総会が開かれ、全会員に事情説明が行われました。その時にわかったのですが、中モズローンテニスクラブが中百舌鳥総合運動場から離れるときに、宇野会員が南海電鉄との交渉で、南海電鉄がテニスコートを明け渡す際の条件に、中モズローンテニスクラブに対して500万円を支払っていたという事でした。>全文を読む

平成7年の平井町テニスコートの時代

それは平成6年(94'年)の春でした。当時の大家だった藤原さん(今の大家である藤原さんとは別人です)の娘さんから呼び出しを受けました。話の内容は項でありました。テニスコートとして貸して頂いている土地の契約が、15年目になる来年度は更新できないとの事です。>全文を読む

著作権