中モズローンテニスクラブの概要

中モズローンテニスクラブ概要について

宮山台テニスコートの時代

当時の宮山台テニスコートの写真

《宮山台テニスコート建設まで》 当時の河本会長、貴志理事長の元で緊急総会が開かれ、全会員に事情説明が行われました。

その時にわかったのですが、、中モズローンテニスクラブが中百舌鳥総合運動場から離れるときに、宇野会員が南海電鉄との交渉で、南海電鉄がテニスコートを明け渡す際の条件に、中モズローンテニスクラブに対して500万円を支払っていたという事でした。

理事会の提案はこの資金を全会員に分配して、中モズローンテニスクラブを解散するというものでした。

多くの議論の末、この資金と臨時会費を徴収して常時使用できるコートを確保するという案に賛成の人は残り、不賛成の人は退会するということになりました。会長を始め理事の皆さんは退会されました。

中モズローンテニスクラブを離れるとテニスが続けられないと思う人達が残ることになりました。

直ちに用地探しが始まり、堀会員が宮山台に候補地を見つけて地主との交渉を設定してくれました。

残った会員で総会を開き、新役員を選任、神田新会長を中心に全役員で交渉に当たりました。厳しい条件でしたが、何とか彼んとか契約に漕ぎ着けることが出来ました。

次にテニスコートの建設をどうするかという事になったのですが、当時ミズノスポーツに勤務していた舟木会員にお願いして業者から見積りをとってもらいました。

ところがなんと総額約3000万円もかかることがわかり、テニスコート建設が立ち往生してしまいました。

困ったときには知恵が出るもので、土地の造成、コートの建設、フェンスの設置、クラブハウスの建設をバラバラに発注することで、建設費を大幅に縮小することを目論みました。

上地の造成は、地主の奥さんの弟さんが社長をしている旭土建に、『自分の庭の造成みたいなものだから』と言って大幅に安く、現場監督も含めて引き受けて頂きました。

コートは木下スポーツに荒木田土(あらきだつち:水田の土とも言われ、沖積土で粘土質の重い土)は使用可能なギリギリの7センチ厚で良いことにして、これで何とか予算に合わせてもらいました。

フェンスは川鉄フェンスに直接お願いし、信じられない価格で引き受けてもらいました。

クラブハウス等の建造物は、中百舌鳥総合運動場で使用していたものをアルミサッシを利用して使うことにしました。

工事は家村会員の義父に当たる大工さんに殆んど手間賃と材料費だけで引き受けてもらいました。

その結果1000万円の予算で、立派な3面のクレーコートが完成し、無事に中モズローンテニスクラブの活動再開にこぎつけることが出来ました。

現在の会則(第5条の1項)にある名誉会員と特別会員の項目はこの時に出来たもので、名誉会員は30万円、特別会員は15万円の臨時会費を拠出した60歳以上の会員に与えられた称号です。

これで万事うまくいったと思っていたのですが、それから14年後に地主が他界し、また新しいコートの建設に向かわねばならない運命になるのですが、この時の経験は現在使用しているテニスコート建設に色々な形で生きたように思います。

著者 宮道 繁
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